東洋の神秘として海外でも熱狂的に支持されたモデルの12年が経山口小夜子さんが2007年に亡くなられ12年が経ちました。
海外でも多くのデザイナーのショーに出演し、日本では有名な化粧品メーカーと専属契約を結んだ山口小夜子さんは、モデル、女優、パフォーマー、デザイナーとたくさんの活動をされていました。
写真を見たことがある方なら感じられるかもしれませんが、彼女の周りだけ違う空気が流れているかのような雰囲気を纏った方です。
晩年はご自分のことを「ウェアリスト」(着る人)と説明されていたようです。
最後に撮影したカメラマンは、2006年にご本人から電話で撮影を依頼されたとのことです。
山口小夜子さんからの依頼というのは、どのような理由があったのでしょうか?
この記事で分かること
自作の服で完璧なポージング
撮影したのは下村一喜さんというカメラマンですが、雑誌の仕事ではなく個人的に撮影してほしいと山口さんから電話があり、受けられたようです。
撮影当日山口さんは黒いベルベットの洋服で来られたのですが、それはご自分で作られたものでした。
そしてその服のまま撮影は始まりましたが、たったの10分間で終了したのでした。
ポージングが完璧だったからというのが理由だそうです。
当時50代の山口さんはモデルではなく女優、デザイナーとして活動されていたと思われますが、きっと身体がしっかりと記憶していたのでしょうね。
下村一喜さんは山口さんのことを、あの世とこの世のはざまのような美しさと表現されています。
ただ美しいだけではないのです……。
筆者のイメージは花に例えると曼珠沙華でしょうか。
この時特に体調が悪い訳で無かったとしたら、ご自分で作られた服がとても良く出来て写真に残しておきたいと思われたのでしょうか……。
メイクやポージングもイメージ通りに出来る予感があったのかもしれません。
なぜ依頼されたかは不明のままで、これからもわかることはありませんが、美しい彼女の姿を切り取った写真がある それだけで十分ではと思います。
海外では、「SAYOKOマネキン」が作られるほどの人気だった山口小夜子さんですが、すぐに活躍出来た訳ではなく、髪を染めるように言われたり、オーディションに通らなかったりとご苦労もあったようです。
おしゃれが好き、洋服が好き
山口小夜子さんは、1949年9月19日生まれ。
神奈川県横浜市出身です。
京浜女子大学横浜高等学校卒業後、杉野学園ドレスメーカー女学院に入学されました。
山口小夜子さんが書かれた本「小夜子の魅力学」に、おしゃれが好き、洋服が好きでしたから、そんな世界に入りたいと思ったのですと書かれています。
この本にはたくさんの写真と共に、彼女のスキンケアや子供のころのこと出会った人たちのことなどが書かれています。
興味を持たれた方は、機会があれば読んでみられてはいかがでしょうか。
山本寛斎の服のとりこに
彼女が杉野ドレスメーカー女学院の学生だったころのある日、デパートで山本寛斎の服に出会いショックを受けます。
それまで見た事もない服で、学校で良いとされているのと反対のことをやっている服で美しかったそうです。
その出会いの後面白いと思う服は、どれもKANSAIとラベルが付いていたという事でした。
プロのモデルにという誘いを受け迷っていた彼女でしたが、こんな服を着られるならとモデルになるきっかけになったようです。
すぐに山本寛斎に出会えたのではないのですが、オーディションを受けショーに出演、寛斎との仕事は続いていったのでした。
パリコレでアジア人として初の起用!
1972年彼女はアジア人として初めてパリコレに起用されました。
そして1977年にはNewsweekにより選ばれる「世界のトップモデル6人」に選出されたのです。
日本人として初めてのことです。
ケンゾー、山本寛斎、イッセイミヤケ、ジャンポール・ゴルチェ、イヴ・サンローランなどのショーに出演されていました。
黒い髪のおかっぱで切れ長の目の彼女は、日本人ブームを巻き起こしたのでした。
トップモデルの冨永愛さんは山口小夜子さんのことを、唯一無二とテレビで話されていましたが、筆者も全く同じ思いです。
お別れ会に1000人が
2007年8月14日山口小夜子さんは東京の自宅で亡くなりました。
急性肺炎で57歳でした。
発見されたのは死後3日程経過していたそうです。
早すぎる死と孤独死がなんとも切なく言葉もありません。
築地本願寺のお別れ会には、関係者やファンなど1000人もの人が集まったとのことです。
それぞれどのような思いを胸に抱えてお別れに行ったのでしょう……。
変わらない憧れとありがとう
海外でも大人気だったモデルの山口小夜子さんが亡くなり12年になりました。
亡くなる10ヶ月前ご自分で撮影を依頼され、完璧なポージングで撮影はわずか10分で終了。
なぜ撮影を依頼されたかは謎のままです。
撮影したカメラマンは、あの世とこの世のはざまのような美しさと表現。
今見てもけして変わらない美、そして憧れ、私たちをこれからも魅了してくれる彼女に心からありがとうを伝えたいと思います。