11月23日ローマ教皇が来日されました。
ローマ教皇の来日は38年ぶりなのだそうです。
前回は1981年のヨハネ・パウロ2世で、教皇の来日は今回で2回目になります。
東京や広島、長崎への訪問などに警察は1万人体制で警備したとのことです。
1936年生まれのフランシスコ・ローマ教皇は、日本でどのように過ごされたのでしょうか?
23日の午後にタイから東京に到着、26日にヴァチカンへとの事ですから4日間の滞在ですね。
この記事で分かること
フランシスコ・ローマ教皇の日程
日程は下記のようになってなっていました。
11月23日 東京に到着
11月24日 午前に東京から長崎へ
爆心地公園にて核兵器廃絶に向けメッセージ、西坂公園では日本の26聖人に祈りを
捧げる。
午後は長崎県営野球場でミサ、その後広島へ。
そして集会で平和の為にメッセージ、終われば東京へ。
11月25日 午前は東日本大震災の被害者と面会
天皇陛下と会見。
午後は東京ドームでミサ、安倍首相と会見。
11月26日 午前上智大学でスピーチ、その後ヴァチカンへ。
83歳の教皇にとって移動して午前、午後と予定されていることを行うのは、なかなか大変と思われますが、フランシスコ・ローマ教皇とはどのような方で、普段の生活はどのようなものなのでしょうか?
ローマ教皇 出身は、仕事は?
ローマ教皇は13億のカトリック信者のトップであり、ヴァチカン市国の元首です。
13億のトップであることは、責任、影響力またプレッシャーも私達には想像も難しいですが、テレビで観た東京ドームの日本人の歓迎ぶりには驚きましたが、また理屈抜きで納得出来たように感じます。
筆者は理由無く涙が出そうになってしまいました。
お名前は、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオといい、1936年アルゼンチンのブエノスアイレスで生まれました。
両親はイタリア系移民で中流の労働者階級だそうです。
普通ローマ教皇は宮殿に住むようですが、フランシスコ・ローマ教皇は庶民的なアパートに住んでいるのだとか。
そして教皇は金の指輪をするのですが、金メッキの物を付けているとのことです。
移動もバス、メトロを使うこともあるようです。
ロックスター教皇と言われることもあり、これはロックを唄うということでは無く、ロックに合わせて言葉を入れたアルバムをリリースしているからなのです。
庶民派と呼ばれているようですが、親しみやすくなんとなく人気の理由が分かる気がしますね。
仕事はミサ、洗礼の授与、布教活動、各地を訪れて民族同士の平和を訴える活動などです。
来日の目的は……
今回の来日では、長崎でも広島でも核兵器、戦争、大量破壊兵器の事について廃絶をと訴えておられます。
布教もあると思われますが、1番の目的はやはり核で、関係者もそのように話しているようです。
日本と外国の指導者にしっかりと届くようにと願うばかりですね。
ヴァチカンにホームレスらを招待
11月の17日にはヴァチカンに貧困者、ホームレスらを昼食会に招待して共に昼食を取ったとのことです。
その数は約1500人だったとか。
昼食前のミサでは、貧しい人々に対する社会の無関心を非難すると述べられています。
演説だけでなく行動するところが素晴らしいですね。
昼食会には貧困者を支援するボランティアが約50人参加しています。
ヴァチカンってどこ?
カトリックの総本山ヴァチカンはイタリア ローマにあります。
独立国で独自の切手や鉄道駅、政府政庁、放送局、郵便局、図書館、教皇の居室などがあるのです。
筆者は行った事がありますが国境というものは、はっきりとは無く歩き進んだ時に「今みなさんは国境を超えられました!」とガイドさんに言われビックリした記憶があります。
世界最小の国で軍事力が一切ありません。
ヴァチカンで注意したいこと
ヴァチカンは神聖な場所ということを忘れてはいけません。
訪れる際は、短パン、ミニスカート、ノースリーブ、サンダルは入場不可ですので気を付けて入国してくださいね。
呼び方が変更に
長い間ヴァチカン市国の元首はローマ法王と呼ばれていましたが、ローマ教皇に変更になりました。
日本のカトリック関係者を中心に教皇と呼ばれていることから、訪日に合わせて日本政府もそのように変えたようです。
まとめ
アルゼンチン・ブエノスアイレス出身のフランシスコ・ローマ教皇です。
教皇は宮殿には住まずアパートに住み、バスやメトロも使うことがあるようです。
ヴァチカンにホームレスらを昼食会に招待し、貧困者に対しての無関心を非難しています。
訪日の1番の目的は核兵器の廃絶を訴えることでした。
庶民的で行動するフランシスコ・ローマ教皇。
お元気でこれからも平和、核廃絶を世界中で訴え続けて頂きたいものです。